内向的な言語学習

英語、中国語、スペイン語と中途半端な言語学習をぼちぼちやっていくブログです。英語はこてこてアメリカ英語です。

中学で不登校、でも今は幸せな大人。学校は行かなくてもどうにかなる。

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不登校

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私の中でセンシティブなトピックの一つ。

小学校高学年の頃に私の人生において忘れたくても忘れられない出来事が起こり、私はその頃から学校に行きたくなくなりました。

母は週何日か仕事をしていたので、その日にあわせて学校には病院に行くと嘘を行って早退して、家に帰ってました。

昔から集団行動がいまいち苦手だったのもあるのですが、ボス的な女子の一声で態度を変えたり、その子がやりたい事だけやるような風潮についていけず。

でも田舎なので小学校のメンバー=中学校も同じなのですよね。だからそのまま延長で中学でもボス女子集団に無視されたり、遊んで貰えなかったりしてました。

そんなこんなで中学校では友達がほとんどいなくて、いつもグループを作って何かする際には私はあぶれちゃうような感じ。全く楽しくなかった。

でもその頃の日記を読むと私も相当ドラマクイーンっていうか、悲劇のヒロインぶってたので真っ直ぐな性格ではなかったかな。後、暗かったと思います。

「みんな大嫌い!お母さんも大嫌い、お父さんも大嫌い!でも自分自身が一番嫌い!」
みたいな。思春期真っ盛りでした。

うちの母は社交的でその頃から顔も広く、その内の一つ、「不登校を考える会」的なものにも参加していたので

「学校に行きたくない」

と言えば理解して貰えるかもと思っていました。

でも私はほんとに子どもで、大人というものを理解してなかった。

私が学校に行きたくないと言った時、彼女は無理やり私を学校に行かせようとしました。

ほんとに文字通り無理やり車に乗せて。体調が悪いって言っても信じても貰えず、無理やり外に出されてました。

今は、その時の母の気持ちも理解できなくもないと思いますがやっぱり何だか未だにモヤモヤした物は残ってます。

後で聞いたら、自分の子どもがそういう風になるとは思ってなくてうまく受け止められなかったって言ってました。

父はまた色々あるんですが子育ての仕方が分からなかったみたい。

完全不登校になった中3の夏

無理やり行かせようとする母、でも行きたくない私。勝手に早退したりしていたのも母は知っていたのかもしれませんが決定的だったのは超真面目な私がある事で警察にお世話になってから。

それが中3の夏でした。母は私が本気だってやっと分かったようです。

それから卒業まで一度も学校には行きませんでした。でも(当たり前ですが)暇だったので英会話スクールや趣味の教室に通ったりしてました。心療内科に通ったりもしました。フリースクールにも行ってみましたがいまいち合わず行かなくなりました。

卒業式は校長室で卒業証書を貰いました。中学校は義務教育。行かなくても校長先生の裁量で卒業出来ます。

高校

普通の高校に行ってもまぁやっていけないだろうなと思っていたし、両親もそう思っていたので不登校の子どもが多く行く学校へ。

結果ほとんどここでは勉強はしませんでしたが、友人もできたし、初めての彼氏もできたし、それなりに高校生活を楽しめたと思います。

友人の中には中学校3年ほとんど出席しなかったというような子もいて、それでも卒業出来るとは。。。とびっくりしたのを覚えてます。

その後、大学にも進学しました。

学校に行かなくても良いと思う

私の場合、不登校は学校自体が問題だったわけではなく、私に起きたある出来事が根底に有りました。

色々あったのですが、大人になってから病院に入院して治療して貰って、やっとバランスの取れた人間になれました。

不登校はしなくてもいいなら、それが一番です。けれども学校行かない事が人生の終わりでは決してないです。

子供の頃は特に学校が全てと思っていましたが、それは間違い。大人になったらもっと世界が広がります。逃げられる場所も多くなります。

辛い時は逃げて良いと思います。歯を食いしばりながら我慢する必要なんてない。

ラッキーなことに大雑把で片付けが出来ないような私でも一緒にいてくれるきれい好きな旦那と知り合い、楽しく暮らしてます。

今の私はガハハと笑い、大きな悩みもない生活です。今の生活に対する不満は、こちらの空気の悪さくらい。

でも自分でもよくここまで来られたなーと思う時があります。

あの苦しくて辛い中学生の時間が永遠に終わらないように思えていましたが、そんなわけはなくて、時はどんどん進んで行きます。

今が苦しくても、それが永遠に続くわけではないです。私は不登校であった事について後悔はしていません。